AREA

白金エリアの歴史:江戸時代から白金ザ・スカイ誕生まで

白金ザ・スカイ ガイド編集部

「白金」の地名の由来

「白金」という地名の由来には複数の説があります。最も有名なのは、室町時代にこの地を開拓した柳下上総介が大量の銀(しろかね)を所有していたため「白金長者」と呼ばれ、その名が地名になったという説です。白金長者の屋敷跡は現在の国立科学博物館附属自然教育園の一部に含まれていると伝えられています。

もう一つの説として、武蔵野台地の白い土壌(白金のような輝きを持つ土)に由来するという説もあります。いずれにせよ、古くから特別な意味を持つ地名であったことがうかがえます。

江戸時代:大名屋敷の集まる格式ある土地

江戸時代、白金エリアには多くの大名屋敷が置かれました。徳川家康の江戸入府以降、白金台・高輪一帯は武家屋敷地として整備され、大名や旗本の邸宅が立ち並ぶ格式の高いエリアとなりました。

白金台には松平家の下屋敷があり、白金一丁目付近にも複数の大名屋敷がありました。この武家屋敷群の存在が、後の白金エリアの高級住宅地としてのイメージの原点となっています。

明治〜大正:華族邸宅と近代化

明治維新後、大名屋敷の多くは華族(旧大名・公家)の邸宅として引き継がれました。広大な敷地を持つ華族邸宅が立ち並ぶ白金エリアは、「山の手」の高級住宅地としての地位を確立していきます。

大正期には、白金台に東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)が建設され、アール・デコ様式の美しい建築は現在も残されています。この時代の白金は、政財界の要人が邸宅を構えるエリアとして知られていました。

戦後〜昭和:都営住宅の建設

第二次世界大戦で白金エリアも戦災を受け、多くの邸宅が失われました。戦後の住宅不足に対応するため、白金一丁目には都営住宅が建設されました。かつての大名屋敷・華族邸宅の跡地に、庶民の住まいが建てられたのです。

昭和30〜40年代にかけて建設されたこれらの都営住宅は、長年にわたり地域のコミュニティの中心として機能しました。しかし、築50年を超えるにつれて老朽化が進み、建て替えの必要性が高まっていきました。

平成:再開発計画の始動

2000年代に入り、老朽化した都営住宅と周辺の民間住宅を一体的に建て替える「白金一丁目東地区市街地再開発事業」が始動しました。東京都・港区・民間デベロッパー5社(東京建物・長谷工不動産・住友不動産・野村不動産・三井不動産レジデンシャル)のJVによる大規模プロジェクトです。

2023年:白金ザ・スカイ誕生

約20年に及ぶ計画・建設期間を経て、2023年に白金ザ・スカイが竣工しました。EAST棟(地上45階・高さ約156m)とWEST棟(地上19階)の2棟構成、総戸数1,247戸は山手線内側最大級のスケールです。

江戸時代の大名屋敷から、明治の華族邸宅、戦後の都営住宅、そして令和の超高層タワーマンションへ。白金ザ・スカイは、白金の400年以上の歴史の最新章を刻んでいます。

GALLERY

関連画像

白金ザ・スカイ - Shirokane History

SHARE

PRE-VISIT CHECK

この物件が気になりますか?

内見前チェックで、あなたに合うかどうかを診断できます。

内見前チェックをする(2分)